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京都地方裁判所園部支部 昭和60年(ワ)12号 判決 1987年11月13日

原告 片野一郎

右訴訟代理人弁護士 谷口忠武

右同 下谷靖子

右同 豊田幸宏

被告 宍人・大西生産森林組合

右代表者理事 片野昭治

右訴訟代理人弁護士 田中実

主文

一  被告は原告に対し金八万四〇三二円及びこれに対する昭和六〇年三月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は一三分し、その一二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この主文第一項は原告において仮に執行することができる。

事実

第一原告の求める裁判

一  被告は原告に対し金一〇八万四〇三二円及びこれに対する昭和六〇年三月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行の宣言

第二被告の求める裁判

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第三原告の請求原因

一  被告は、森林組合法に基き京都府船井郡園部町宍人及び大西地区において、森林の経営、環境緑化木の生産等の事業並びにこれに付帯する事業を行う目的で設立された生産森林組合である。原告は被告の組合員である。

二  園部町は昭和五四年度入会林野整備特別対策事業の一環として園部町宍人奥ノ谷において奥ノ谷林道工事(以下「本件工事」という)を施工した。本件工事が実施されれば被告及び被告の組合員所有の田畑や山林に潰地(林道敷地に供用される土地のこと)や伐採木が生ずると共に、林道開設によって利益を受ける者もおり、地元は工費の二〇パーセントの負担金を園部町に支払うことが義務づけられていたので、地元関係者の補償及び受益負担のとり決めをしておく必要があった。

被告は園部町と協議し、被告がまとめて二〇パーセントの地元負担金を支払い、代りに各個人に対する補償や受益者負担金の徴収は被告がすることとなった。そこで、本件工事に先立ち被告の総会において、被告が定める計算方法によって潰地の面積や伐木量に応じて潰地、立木所有者に対し補償金を算定して支払い、受益者に対しその受益の割合に応じて被告が計算した負担金を徴収することが決議された。

三  原告は園部町宍人奥ノ谷五二番という山林を所有していた(以下「本件山林」という)が、本件工事によってこのうち三〇九・一九平方メートルが潰地となった。被告は潰地一平方メートル当り三三〇円の割合による潰地補償をすると定めた。よって右潰地補償金は一〇万二〇三二円である。また立木補償は原告の潰地面積及び地上の樹木から算出して一万円と算定される。他方原告の受益者負担金は二万八〇〇〇円と定められた。

四  よって、原告は被告に対し右補償金と負担金との差額である精算金八万四〇三二円の債権を有している。

五  被告の理事でもある角幸治は本件山林が自己の個人所有であると主張し、原告との間に紛争が生じた。被告の理事大坪為治、同小林本一らは角幸治の意向を受けて、本件山林が原告の所有であることを知りながらこのうち潰地一五九・九九平方メートルについて故意に角幸治の所有として処理し、被告は原告に支払うべき潰地補償金五万二七九六円及び立木補償金五〇〇〇円を角幸治に支払った。

原告と角幸治との間で本件土地の所有権の帰属について訴訟となり、昭和五八年一〇月二一日園部簡易裁判所で原告の所有権を認める判決があり、角幸治が控訴したが、昭和六〇年五月三〇日京都地方裁判所で控訴棄却の判決がなされ、上告なく原告の勝訴に確定した。

右裁判の結果明らかなとおり、被告の角幸治に対する五万七七九六円の支払いは誤りであり、原告に支払われるべきものであるのに、被告は今日に至るも原告に対し補償金の支払いをしない。

六  大坪為治は被告を代表して原告に対し、昭和五五年一一月一二日園部簡易裁判所に負担金未収金支払いの調停を起こし、不当な負担金支払いを求めた。右調停は前記原告と角幸治との間の訴訟の結果を待つこととされた。しかるに被告は右訴訟が原告の勝訴に確定したのに約束に従わず、今度は角幸治の「こせ」に補償したものであると主張して今日に至るも原告に対し従前どおりの請求をし、右調停申立を取下げて解決の道を放棄した。

理事大坪為治は被告の総会において、一方的に原告を非難し、事実に反する内容を含む議案書を提出し、自らの立場を不当に正当化している。

前記大坪、小林、角らの不法行為によって被告の組合員としての原告の信用は著しく傷つけられるとともに、原告は地元で村八分的な扱いを受け、はなはだしくその名誉を毀損された。原告の受けた精神的苦痛を慰藉するには少くとも一〇〇万円は必要である。被告は民法四四条により原告に対し金一〇〇万円の損害賠償義務がある。

七  よって、原告は被告に対し、精算金八万四〇三二円及び損害賠償金一〇〇万円の支払い並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六〇年三月一三日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第四請求原因に対する被告の認否

一  請求原因一、二項の事実は認める。

二  同三、四項の事実は否認する。

三  同五項のうち原告と角幸治との間の訴訟の控訴審が京都地方裁判所に係属していたことは認め、その余の事実は否認する。

四  同六項の事実は否認する。

五  同七項は争う。

第五被告の抗弁

一  船井郡園部町宍人及び大西地区(以下「本件地区」という)では、昔から、田畑に隣接する山林の一部に「こせ」と称する権利が認められている。

「こせ」とは古来より日本各地で認められている現象で、作物に蔭をつくる樹木やその蔭になる土地をいい、山林に隣接する田畑の耕作のため日照、通風等を確保する慣行をいう。この内容は、もとより、各地方によって異なる。多くは、田畑の耕作に必要な日照、通風等を確保するためその妨害となる隣接の他人の山林上の草木を田畑の耕作者が自分で自由に刈り取ることができることを内容とし、これが発展して、刈り取った草木を田畑の所有者が収益できるものもある。

本件地区においては、江戸時代より「こせ」の権利が極めて強く、「こせ」の権利は「こせ」の部分の土地の利用権までも伴う内容となっている。権利の性質は、慣習に基づく物権と解することができ、一種の地役権に類似するものと考えている。

従って、田畑は要役地的に、蔭をつくる山林の部分は、承役地的な法的地位を有するものである。もちろん、民法に定める地役権ではなく、これに類するもので、慣習を根拠とするから、この承役地の利用の方法は各地方によって異なるのは当然である。これを、民法の定型的な物権のみをとらえ「こせ」に植林することは、好ましいことではないとか、目的に反した恣意的なものであるとか批判することは正鵠を得たものではない。

二  本件地区における「こせ」については江戸時代より、近代時代にいう使用収益権的利用が許され、その内容において土地所有権とほとんど異なるところがなかった。このため、明治後、土地所有権制度がとられ、土地の公図及び登記制度が発足してからも他の地区には余り例のない極めて特殊な発展過程を示してきている。本件地区でも土地登記簿は田畑、山林の一筆、一山ごとに作成されている。ところが本件地区において特殊にみられる現象として

(一)  「こせ」の部分が一筆の山林から分筆され枝番が付され、隣接田畑の所有者に「こせ」部分の土地の所有権の登記がなされている事例

(二)  山林と隣接田畑とで現況及び地形が明らかに異なり、山林の所有者と隣接田畑の所有者とが別人であるにもかかわらず、田畑と「こせ」の部分が公図上一筆の土地そのものとして表示されている事例

(三)  山林と隣接田畑とが公図及び登記簿上それぞれ別個独立の地番、地目の土地として表示され、両土地の所有者が異なるときでも、現地では隣接田畑の日照等を害する山林部分が「こせ」としての制約に服し、隣接田畑の所有者が「こせ」の部分を使用収益している事例

の三種類がみられる。

また、本件地区内においては、所有権と「こせ」の権利の及ぶ土地との境界に境界杭がうたれていることさえある。

三  本件地区内においては、前記(三)の場合が現在、所有権を制約する「こせ」として残されているものである。この場合においても「こせ」の権利は「こせ」地内においては、単に、土地所有権者の植林等を制約するにとどまらず、「こせ」権利者は、地内において所有権者と同様に使用収益をする権能をもつ。事実、原告は「こせ」地内に栗の木を植樹しており、その他多数の者がこせ地内において永年にわたり植林を継続している。この事実は、原告を含めた村民が「こせ」の使用収益権を承認していることに他ならない。

四  本件工事の準備は昭和五四年一二月頃から行われ、同月二三日工事予定地の宍人地区の区長角幸治宅前において、被告の役員、区の役員、工事の受益者、潰地の関係者による会合がもたれた。

本件工事は従来の細い道を拡巾して林道とするものであり、拡巾する部分に予め園部町当局によってテープがはられ、私有地(田畑及び山林)と拡巾完成によって林道となる土地との境界線は決められていた。右会合は林道開設によって各受益者の負担額と潰地による要補償者の精算額を決める前提作業として、林道沿いの私有地相互の土地境界を明確にするために現場で開かれたものである。

五  ところで、本件地区では従前も、林道拡巾のため「こせ」にかかる土地が潰される場合、土地所有者にではなく、「こせ」の権利者に補償されていた。そこで、右会合でも、私有地相互の境界並びに「こせ」のある土地については、「こせ」の権利の及ぶ範囲についての境界を明確にしようとしたものである。

六  出席した関係者は、昭和五四年一二月二三日角幸治区長宅前で協議の後、拡巾予定地で順次関係者立会の下に各土地相互の境界の杭打ち作業をし、本件奥ノ谷五二番地の山林についても、現地で原告を含む関係者の協議のうえ、「こせ」権利者角美久子の「こせ」の部分、同角幸治の「こせ」の部分、土地所有者片野一郎(原告)の個有の所有地部分(「こせ」の制約を受けない土地部分)の境界に杭を打った。これによって、補償及び精算の対象区域と面積がほぼ明確になった。

七  本件林道開設による「こせ」の潰地について、前例にならって「こせ」の権利者に補償することは、被告が昭和五五年二月二日及び同月一二日に開催した関係者の打合せの会合で協議、確認されており、原告もこの会合に出席して右の点を承諾している。その後の会合では、「こせ」の権利者に補償することを前提にして、精算のため種々の計算をしたが、原告はほとんどの会合に出席してこれを承諾し、あるいはこれを当然の前提として協議に加っている。「こせ」に補償するときは、その部分の土地所有者への補償はなされていない。

八  本件工事完成後最終的な精算を決める会合が昭和五五年七月二六日原告も出席して開かれた。この会合で、本件山林については角幸治及び角美久子の「こせ」について補償費が計算された。原告の個有の所有権の部分について補償費が計算されたが、「こせ」の制約に服する部分については原告に対する補償費の計算はされなかった。原告はこれらの計算を承諾した。原告はこれらの計算に基づく集金の一部を担当することに決まり、片野吉寿を始め一六名から集金をした。

九  原告と角幸治との間の本件土地の所有権の帰属をめぐる紛争は本件補償に影響しない。角幸治に土地所有権が帰属していないとしても同人が「こせ」の権利を有していることは明らかであり、被告は本件土地については角幸治と角美久子の「こせ」の権利について補償の計算をしたものである。

一〇  被告が、原告の担当した集金について原告に支払を求めるのは当然のことである。原告は片野吉寿等から本件工事の負担金の精算分として金一二万二四六二円を集金しながら、これを被告に支払わない。被告はやむなく組合員に対し文書でこの経過を説明した。この文書は原告の名誉を害するものではない。

一一  原告は会合や作業に出席した際は協議の結果を承認しておきながら、後日になって「知らない」と言い張ることが多く、村中でも孤立する原因となっていた。被告が原告を村八分的な扱いにしたことはない。

第六抗弁に対する原告の認否及び反論

一  抗弁一ないし三項の事実は否認する。「こせ」は、田畑の日照、通風を確保し、露零を防除するために、田畑に接続する山裾部分の樹木を伐採できるという地方的慣習である。「こせ」には使用収益権能はなく、土地所有権とは全く異なり、地役権でもない。

二  同四項のうち昭和五四年一二月二三日区長角幸治宅前で本件工事に関する会合がもたれたことは認めるが、その余の事実は否認する。

三  同五項の事実は否認する。「こせ」の土地が潰地となった場合それは山裾部分の消滅を意味し、日照、通風は完全に確保できるのであるから、「こせ」を有した者に対し潰地の補償をしなければならない理由は全くない。従前の引谷林道工事の際、原告所有地が潰地になったのに原告に補償せず、「こせ」の権能をもつ小林敬直に補償したことがあったが、後日原告の申入れにより被告はこれを誤りと認め原告に補償金を支払った。

四  同六項の事実は否認する。原告所有の本件山林とその下の角幸治の田畑との間には本件工事以前に既に旧道が通っており、本件山林には角幸治の「こせ」は存在していなかった。角幸治じしんも原告との間の訴訟においても、「こせ」ではなく所有権を主張した。

本件林道予定部分にテープが張られたのは当日の三日前である。原告は一二月二三日には現場確認のため宍人地区区長角幸治方に赴いたが、本件山林については隣接地との問題が生じないので杭入れにも立会わず帰宅した。また原告に対して杭入れに立会ってほしいという申入れもなかった。

原告が杭入れがあったという事実を始めて知ったのは、昭和五五年一月末ころ樹木等を片付けるため本件山林に入ったときである。後日判明したところによるとこの杭は前記大坪らの指示により前記小林が杭を入れ、杭の両面に角幸治、片野吉寿の名前を書き入れたものであった。

被告は右杭入れ作業は「こせ」の権利を念頭に入れた上で境界を決定したと主張するが、本件山林に角幸治の「こせ」の権利が存在したことはなく、また以上のとおり実際の杭入れ作業の経過からみてもこれは大坪、小林らの恣意的な行動にすぎないことは明らかである。

五  同七項のうち、被告が昭和五五年二月一二日開催した関係者の打合せの会合に原告が出席したことは認めるが、その余の事実は否認する。その場では受益負担金を決定するについて、台帳面積と現実との開きを調整するための倍率等が定められた。そこでは潰地補償については土地所有者に対して補償するということが当然の前提であって、「こせ」の権利者に補償するということは話しにもでなかった。

六  同八項のうち、昭和五五年七月二六日本件工事の精算を決める会合が開かれ、原告も出席したこと、原告が精算金の集金の一部を担当することに決まったことは認め、その余の事実は否認する。原告はその時は台帳面積の記億もなかったし、またその場で被告が出席者全員に配付した精算書は正しく作成されているものと信じており、特に疑うこともなくその場では精算書については発言しなかった。しかし、原告が帰宅後その精算書を調べてみたところ、本件山林の負担金は原告から徴収するにもかかわらず、潰地補償金は角幸治に対して精算するという処理になっていたので、原告はこの誤りを正すため、翌朝被告の役員でありこの精算書作成の担当者である小林本一に対して精算書が不当である旨抗議した。しかし、小林は原告に対し、「会合の場で発言しなかったので納得したものと思った。」と述べただけで原告の抗議に対しまともに答えようとはしなかったのである。原告が被告の計算を承諾したというのは全く事実と異なる。

七  同九項の事実は否認する。前記被告が提起した精算金支払いの調停で原告は被告の誤りを指摘し、結局原告と角幸治との所有権についての裁判の結果を待つということになったのである。この過程でもあきらかなように潰地の補償は土地所有者に対してなされるということは当然の前提になっていたものであり、被告主張のように「こせ」の権利者に対して補償するということは全く事実に反する。

八  同一〇、一一項の事実は否認する。

第七証拠《省略》

理由

一  請求原因一、二項の事実は当事者間に争いがない。《証拠省略》によると請求原因三、四項の事実が認められる。

二  《証拠省略》によると、原告は昭和五四年一二月頃から昭和五五年二月二日までは本件山林は片野吉寿の所有であり自己の所有とは全く考えていなかったが、昭和五五年二月二日小林本一から土地台帳や園部町備付の図面の調査結果によると原告の所有であるとの説明を受け、いったんはこれを強く否定したものの、自分で権利証を調べて自己の所有と確信するに至ったこと、その頃被告の理事をしていた角幸治が本件山林の北半分は同人の所有であると主張したので、原告は調停を経て同年四月頃角幸治を被告として右土地に同人が所有権及び占有権原を有しないことの確認を求める訴訟を園部簡易裁判所に出訴し、昭和五八年一〇月二一日請求認容の勝訴判決を得たこと、角幸治がこれを不服として控訴したが京都地方裁判所は昭和六〇年五月三〇日控訴棄却の判決を言渡し、上告なく確定したこと、ところで、被告は右のように原告と角幸治との間で本件山林に関する訴訟が係属中であったため、昭和五五年七月二六日本件工事の最終的な精算をするにあたり、仮に角幸治が本件山林につき所有権を有しないとしても同人は本件山林のうち潰地一五九・九九平方メートルにつき後述する「こせ」の権能があるものと判断し、角幸治に対し所有権もしくは「こせ」の補償として右一五九・九九平方メートルに関し五万二七九六円を支払うと決定し、原告にも同日その旨説明し、精算書を配付したこと、原告は同日これに何ら異議を述べず、同日決まった精算金の徴収を原告も分担して引受け、翌日以降各個人から精算書記載の精算金を集金したこと、その後になって原告は角幸治への右補償は不当であり右補償金は元来土地所有者である自分に支払われるべきものと主張するに至ったこと、以上の事実が認められる。《証拠判断省略》

三  前示のとおり角幸治は被告の理事であったが、同人は個人の立場で原告の調停、訴訟に応じ、判決は原告と角幸治個人との間で確定したものであり、角幸治の本件山林に関する権利主張、応訴、控訴が被告の民法四四条の責任を生ぜさせるものではない。

請求原因五項のうち、大坪為治、小林本一が被告の理事であったこと、同人らが被告の理事として本件工事の精算に従事したことは認められるが、同人らが精算をするに際し本件山林が原告の所有であることを知りながら、角幸治の意向を受けて故意に潰地一五九・九九平方メートルを角幸治の所有地として精算をしたとの事実はこれを認めるべき証拠がない。

原告と角幸治との訴訟が原告勝訴に確定した後になっても、被告が潰地一五九・九九平方メートルにつき所有者である原告に補償しようとしないことは明らかであり、後に判示のとおり被告は右潰地補償の支払義務を免れず、履行遅滞の責任を負うものであるが、右遅滞をもって被告の原告に対する不法行為であると解するに足りる特段の事情は明らかでないので、これをもって不法行為とは言えない。

四  《証拠省略》によると、被告は前示のとおり本件山林のうち一五九・九九平方メートルについては角幸治が所有もしくは「こせ」の権能を有するものとして同人に潰地補償をした反面、この部分については原告には潰地補償、立木補償をしなかったこと、原告はこれを不服として本件工事及び別の引谷林道工事をあわせた自己の受益者負担金一万三七三四円及び原告が片野吉寿から集金した受益者負担金六万六四六三円合計八万〇一九七円の中から、右一五九・九九平方メートルに関する潰地補償費、立木補償費を差引いて被告に納入しようとしたため、被告がこれを拒絶したこと、被告は昭和五五年八月以降原告に対し右八万〇一九七円の支払を請求し、被告の理事大坪為治は被告を代表して同年一一月一二日園部簡易裁判所に右金員の支払を求める調停を申立てたこと、右調停は原告と角幸治との土地所有権等に関する民事訴訟の結果を待つこととされて進行しないまま、原告の勝訴判決確定後半年以上経過した昭和六一年二月八日被告が調停申立を取下げて終了したこと、被告の理事大坪為治は原告から精算書所定の入金がないため、昭和五六年一月二四日開催の通常総会において、被告からみた事実経過を説明し、原告の態度のうち被告が納得できない諸点を摘示した書面を作成して総会資料として出席した組合員に配付したこと、以上の事実が認められる。《証拠判断省略》

五  請求原因六項中、被告が昭和五五年一一月一二日調停申立によって原告に対しなした負担金請求が全く不当であるかの如く言う点は、前示のとおり昭和五五年七月二六日に角幸治には仮に所有権がなくとも「こせ」が認められるので補償すると説明し原告も了解し原告自身が精算金の集金を一部担当することまで引受けながら原告の分及び片野吉寿の分について入金しようとしなかった点を考慮すると、是認することができない。

請求原因六項中、被告が申立てた調停事件が原告と角幸治との訴訟の結果を待つだけでなく当然その結果に従って処理されると約束されたかの如くに言う点、右調停の取下げが不当であるかの如くに言う点は、これを認めるに足りる証拠がないので採用できない。角幸治の「こせ」に補償したとの被告の主張が、主張じたい不当だとは認め難い。

被告の理事大坪為治が被告の総会に書面を提出したことは前示のとおりであるが、理事はその業務の主要な点について総会で説明をしなければならず、原被告で事実認識が異なり、見解が相違していることを考慮すると、大坪為治が右書面によって一方的に原告を非難し、事実に反することを記し、自己の立場を不当に正当化しているとは言い難い。

よって、被告の理事に不法行為があったとの原告の主張は採用できないので、損害の点を判断するまでもなく原告の損害賠償請求は失当であり棄却を免れない。

六  次に精算金請求の関係で被告の抗弁について判断する。

《証拠省略》を総合すると、本件地区では昔から山林に隣接する田畑を耕作する際日照、通風等を確保するためその妨害となる山林の山裾の草木を田畑の耕作者が自由に伐採することを許される慣行があり、これを「こせ」(腰背、腰林)と呼び、この「こせ」は本件地区では沿革を検討すると抗弁二項(一)ないし(三)の三種類に区分することができ、最後の(三)の「こせ」が現段階では山林所有者の所有権に対する事実上の制約として機能していること、「こせ」は元来は山裾の草木を田畑の日照、通風等の確保の目的の限度で田畑の耕作者が自由に伐採することが許される慣行に過ぎず、物権法定主義の原則からしても「こせ」に物権的権能を与えることは許されないにもかかわらず、本件地区においては田畑の耕作者が「こせ」の名のもとに山裾の山林を自由に使用して収益を図ることが慣行として是認されていること、以上の事実が認められる。

しかしながら、右の「こせ」は物権でないのはもちろん、慣行にとどまり法的権利とは言えず、従って「こせ」の制約のついた土地を公共の用に供する場合に、個々の土地所有者が自ら権利を放棄するなら格別、地域の慣行のみに基づいて「こせ」について補償し、土地所有者に補償しないことは許されないと言わねばならない。

七  《証拠省略》によると、抗弁四ないし八項の事実(但し、同六項のうち昭和五四年一二月二三日には角幸治について「こせ」としてではなく所有権として境界が示されたものであり、片野一郎(原告)の所有と判明したのは後日のことで、当日は片野吉寿の所有として取扱われたもの。また、同八項のうち昭和五五年七月二六日本件山林について角幸治には所有権又は「こせ」の補償として補償費が計上され、原告はそのことを聞いて了解したもの。)が認められる。《証拠判断省略》

八  抗弁九項の主張は是認できない。被告が原告を含む関係者の了解を得て本件山林のうち一五九・九九平方メートルにつき角幸治に所有権もしくは「こせ」として潰地補償をしたことは必ずしも不当とは言えない。しかしながら、昭和五五年当時原告は角幸治と本件山林の北半分について訴訟提起して所有権の帰属を争っていたことからして、自己の所有権を否定していたとは考えられず、本件山林について土地所有者として補償を受ける権利を放棄したと解すべき具体的事実はない。してみると、後日角幸治との間で確定判決をもって本件山林が原告の所有に確定したのであるから、昭和五五年七月二六日、あるいはそれ以前における原告の了解を理由に、潰地につき所有権の補償をしないでよいと解することは困難である。よって、被告の抗弁は採用できない。

九  本件訴状副本が昭和六〇年三月一二日被告に送達されたことは本件訴訟手続上明白である。よって、原告の請求は被告に対し精算金八万四〇三二円及びこれに対する昭和六〇年三月一三日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容することとし、その余は失当であるので棄却を免れず、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 井土正明)

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